セッションで大事にしたい、クリーン言語の独特なポイント3点

 今回は、セッションを受けて感じたポイントを3つ、コーチ/ファシリテーター目線に置き換えて書かせて頂きました。いずれも基本的なことかもしれませんが、何かのお役に立てばうれしいです。

 

そして、他の実践家(テクニシャン)の方々のご意見も伺えたらなぁと思っています。

 

目次

1.クリーン言語の質問が限定的である意味

2.外に出たメタファーは、もどってこないことを確認する。

3.ファーストニードで限定しない。「~のために」ではなく「~のときに」

 

 

1.クリーン言語の質問の種類が限定的である意味

 

限定的な質問を使ってセッションを進めていくというのがクリーン言語の考え方です。コーチは対話(クリーン言語の場合は限定された質問とそれに対する答え)を通じてクライアントの描く世界に触れますが、その世界をコーチが正確に知る必要はない、という考え方はクリーン言語独特なのではないでしょうか。

 

通常のコーチング*では、クライアントが描くその世界を、同伴者、伴走者として一緒に旅する感覚があります。ですので、「私にはこのように聞こえます」「このような光景でしょうか」など、その方の世界観に積極的に関わり、具体的に明確にするための様々な方向からの質問が豊富にあり、適宜使用します。

 

*「通常」と書きましたが、これは私が提供しているコーチングに対する認識なので、もしお気に障りましたらすみません。ご容赦ください。

 

ただし、他者の世界観を完全に理解するのは無理でしょうから、通常のコーチングセッションとクリーン言語のセッションとの違いは、その世界を一緒に体験しようとするか、その世界にコーチは踏み込もうとはせずに、本人が自由に探索できるスペースを残しておくかの違いではないでしょうか。

 

特にクリーン言語のセッションでは、クライアントの世界をクリーンに保つために、コーチが理解しなくてもセッションが展開されていく質問は限定的なのだ、と理解を深めました。

 

要は、少ない種類の質問でもセッションが進められる、ということではなく、クリーンであることに努めるためには、限定的である必要があるのかと、改めてその意味に気づいた感じです。

 

 

2.外に出たメタファーは、もどってこないことを確認する。

 

クリーン言語のセッションにおける重要な要素はメタファーですが、それほど稀ではない割合で、遠くに離れていくことがあります。では、その離れていったメタファーはどこまで追いかけるべきなのでしょうか。

 

この疑問への一つの解は、「次に何が起きますか」とその変容について情報収集をし、もう戻ってこない状態を確認する、というものです。

 

離れてく、ということはクライアントにとってはもう必要ないもの、或いは苦しみの象徴であった可能性もあり、一度手放すことができたら、その後戻ってこないことを確認しておくことは大切です。

 

これはコーチの好奇心から一つのメタファーを追いすぎてセッションがクリーンでなくなることなく、かつ、クライアントは体験を中途半端にせずに内省へと戻ることができる、キーとなる考え方と思いました。

 

 

3.ファーストニードでその方向性を限定しない。「~のために」ではなく「~のときに」

 

クライアントが抱える問題について、あるメタファーが十分に詳細になると、そのメタファーの願望を聞くのがセオリーですよね。

 

そして、それが実現するためには何が必要かの情報を集める(ファーストニードを聞く)ときの言葉遣い一つで、その必要なもの/コトの方向性が決められてしまうことがあることに気付きました。

 

例えば、次の例をみてください。

【注:架空のケースです。実際のセッションを基にしてはいますが、分かりやすく変更しています。】

 

例1)

CL:「〇〇(メタファー)は、突き破って外に出たい。」

CO:「そして〇〇は突き破って外に出たい。そして〇〇が突き破って外に出るために、最初に何が起こる必要がありますか?」

 

例2)

CL:「〇〇(メタファー)は、突き破って外に出たい。」

CO:「そして〇〇は突き破って外に出たい。そして〇〇が突き破って外に出るときに、最初に何が起こる必要がありますか?」

 

例1の質問をCOがすると、CLとしては、まずどうすれば突き破れるかを考えさせられる感覚を持ちませんか?「突き破って外に出ること」が「目的」となります。そこで例2の太字を見てみます。突き破って外に出たいという願望をそのまま受け入れ、暗黙の「前提」となっていて、そこに達する手段としては突き破ること以外にも視野が広がらないでしょうか?

 

コーチが「突き破って外に出る」手段を目的的に探させるのではなく、「突き破って外に出る」その世界をクリーンに保ちつつ、広がった視野からまた別の情報が引き出せるように投げかけるうまくできた質問が、例2なのではないかと思いました。

 

この理解、感覚が正しいか分からないのですが、実は私がクリーン言語を習い始めたときは、例1の「~のために」で教わりました。

 

その後、「~のときに」に修正がなされたのですが、根本のコンセプトをたがえず、しかし進化するクリーン言語を探求して自己成長につなげ、そしてクライアントとしての経験を、次のセッションに生かしていけたらいいなと思っています。

 

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。