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メタファーに向き合う時間が教えてくれること

クリーン言語に携わり、直感やイメージを大事にすることに触れ、数年が経ちました。メタファー(=具体的イメージ)が大きな意味を持つことがあることも、各回のテーマや出てくるメタファーが違っていても、何かがどこかで繋がっていることがあることも少しずつ、体験してきました。そしてまた、自分独自のメタファーに正対し、クリーンにその独自の物語を紡ぐことは、小さすぎて見逃し勝ちだけれど、放っておくとちょっと厄介になる日々の不安や不満に光をごく自然に当てることがある、本人は気付いていなかったことにも関わらず、ということも発見でした。

 

大した論理的思考ができるわけでもないのに、何でも言葉で論理的に表現・説明できるし、そうすべきであり、それ以外の表現方法やアプローチを無意識に退けていたような私には、このクリーン言語という新しいアプローチの考えかたに慣れるまでにずいぶんと時間がかかったかもしれません。

 

そして、慣れるに従い、自分の中で展開されるメタファーも大変に多種多様になってきます。

 

先日体験したセッションでいくつか出てきたメタファーに、「カーテン」がありました。遠くに押しやってセッションは終了しましたが、今でも時折気になるのが不思議です。と言うのも、セッションが終わると大概、役目を終えたメタファーは私の記憶には残らないことが多いのです。単に記憶力の問題かもですけど。なので、時折、ふとした瞬間にその存在感を示してくるカーテンが気になっています。

 

セッションでは遠くに押しやった、ひらひらと揺れ動きたくないカーテン。確かに遠くにあるままなのですが、ひらひらと私の注意を惹きます。

 

自分ひとりで探求してみるのもよいですが、また次回のセッションで、取り扱ってみることもできます。しかし、この「今」気になっているカーテンについて「その時に」直接取り上げなくても、それがもし必要なことであれば、きっとまたいつかのセッションでファシリテーターのガイドをもとに、探求することになるでしょう。その時、まだ同じカーテンのままなのか、別物として出現してくるのか、それもまた、その時にならないとわかりません。

 

 

一昔前は、論理的な説明や、白黒はっきりした結論、明確な答えを出すことをどちらかというと好んでいた私からは少し変化してきていることを感じています。これも成長と喜びたく、そしてじっくりとメタファーに向き合う時間をまた持てることを楽しみにしています。