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不安は自分が生んでいる

久しぶりにクリーン言語のセッションを受けました。

2時間近くしっかりとメタファーに向き合うガイドをして頂きました。少し長いですが、セッション中に感じた事、いま改めて体験談として振り返って整理できたことなどをまとめています。今回も、メタファーに虫さんが登場しますので、苦手な方は本文中で予告していますので、そこは飛ばしてくださいませ。

 

セッションテーマ

 

今回のテーマは、「不安について」でした。

 

具体的にはメールでも発言でも、他者とのコミュニケーションにおいて、「これでよかったか」「変に思われないか」「嫌な思いをさせてしまってないか」など、直後にくよくよして、自信を無くすことが最近また気になり始めたのです。

 

何が起こってほしいか聞かれると、様々な状況が思い浮かんで、それをそのまま私は口にします。その流れの中でモヤモヤしているのは不安だと気づくわけですが、そのまま話を続けていました。冗長ともいえる話を、私は「自信を持ちたい」と締めくくりました。しかし、ファシリテーターの方は的確にその不安をピックアップしてセッションを進めてくださいました。自信を持ちたいという方ではなくて。

 

不安の場所とメタファーの変容

 

「不安はどこにありますか?」セッションを受け始めた時はその場所を探すのに苦労しました。頭で考えてばかりでしたので。今回もどこかなーと頭ではじめ考えていたようです。

そしてそれは胸の内側一帯、広く薄く広がっているように感じられました。今回のメタファーの変容、旅は、今振り返ると2部構成のようでした。

 

<第一段階>

「それは何の様でしょうか?」お食事中の方や虫が苦手な方はもしかすると不快に感じるかもしれませんのでその場合は申し訳ないのですが、スクロールしていただき、「・・・そして今、不安についてはどのような違いがありますか?」まで飛ばしてお読みください。

 

それはたくさんの蟻の集団がどこへ向かうでもなく、そのままその場でもぞもぞ動いている感じでした。

 

最初は蟻と思えませんでしたが、それは上に砂がかかっていて、何が下で動いているかわからなかったからです。クリーンの質問でだんだんとそれが何かわかってくるのも大変興味深かったです。

 

その後もクリーンの質問は続きます。

 

その蟻は砂を払い落すと一匹が先頭になり、一列になって行進を始めます。

 

でも向かう先はどこかほかの場所ではなく、胸の内側、大群が広がっていた辺りの円周をぐるぐるしだしました。全ての砂が払い落とされると行進がピタリと止まります。

 

そして蟻はそれぞれが煮た黒豆のようにつやつやの楕円形になりました。

 

楕円形のいくつかは中に核を持ち、楕円から球体になり、透明に色が変化して一連の連なりから分離し、更に上方にシャボン玉か風船のように上っていきました。

 

透明なので、シャボン玉のイメージの方が近いです。

 

そして残された楕円の連なりはそれぞれの粒は色を失い、しぼみ、一体となっていきます。それは錆びた鉄の棒の様でした。

 

鉄の棒は上っていったシャボン玉を見上げながら、あきらめています。

 

<第二段階>

「その鉄の棒は何が起こってほしいか?」との問いに、よくよく探ってみましたが、特に何も感じることはできませんでした。ただただ、諦めて、そこに横たわっている。

 

「その諦めている感じ、はどこにありますか?」私の言葉が、諦めている感じ、というものだったので、感情・感覚の場所を聞かれます。これは私がそのような感じかなと考えていた言葉でしたので、場所としては私の頭の中、おでこの裏側くらいに、文字としてあると伝えました。

 

そして、ここからがまた私にとって面白かった、興味深かった場面です。

 

それ(文字)がプラカードのような名札から白い旗とイメージが具体化、変容していきました。初めは文字だったのに。諦め=白旗をあげるというイメージが湧いたからかもしれません。

 

そして、旗というメタファーにたどり着くことで、旗はふわりと下の錆びた鉄の棒のところに降りていき、それをくるむことができました。

 

そして、鉄の棒はだんだんと小さくなり、消えてしまいます。そのあとはふわりと白旗が広がっているばかりです。

 

元々重い鉄の棒があったそこは、白い旗が広がるだけとなり、ずいぶんと軽くなりました。

 

「どのような違いありますか?」

要所要所で聞かれた質問ですが、大きな違いは実は軽さと空間があることだと今も実感しています。

 

ただ、空間と軽さ。あまりにもたくさん詰め込み過ぎていたが、それがスッキリしているという違いがありました。

 

 「・・・・そして今、不安についてはどのような違いがありますか」

ずっと続いたメタファーの変容の旅から、ふと自分のお悩みに戻ります。

 

私が気づいたのは、あまりにもたくさんかき集め過ぎている、ということと、行動の後に感じる不安は、これまでの失敗経験からのアラートのようなもの、「言い訳を用意せよ!」だった。

 

最近気になっていたこの不安は自分が自動的に発出させている、ムダなアラートであると気づき、モヤモヤしていたものがすっと消去され、空間と軽さを感じられるようになりました。

 

今回のセッションの振り返りからの学び

 

そして今、こうして体験談という形でセッションを振り返ってみることで、また他の気づきも得ることができました。

 

それぞれのメタファーや変容を振り返ってみると、元々は同じところに、同じようにいたツヤツヤの楕円形の黒豆たちの一部は変質、変態してすーっと上に消えていき、そこに留まった7割も、別の変質、変態をして白旗の中で消えていったことに気づきました。そこから私が思ったことは次の通り。

 

あまりに多くの願望、願い、欲を持ち過ぎていた。手に余る、身に余る、本当に自分が欲しいものかもわからないもの一緒くたに。

 

今それが整理された感覚があります。

 

最後に:やっぱりクリーン言語が好き

 

 

本人が意識しているか無意識かに関わらず、「今抱えている感情・思い」についてクリーンにファシリテートする。これが、私はやっぱり好き。クリーン言語のセッションでなければ、どうすれば自信を持ってコミュニケーションできるか、不安なくメールを送信できるかに焦点が行きがちだけれど、そうでない根本的でシンプルな答えを探しに行けるから。(いつもシンプルかはわかりませんが。)

 

自分の行動に自信を持ちたい、というまだ手にしていない願望よりも、今の気持ち、感情(不安)に向き合うクリーン言語独特の考え方は他の手法とは一線を画するので、ほかのセッションで得られる気づきとともに、別の角度からも自己探求を進めることに繋がります。

 

私がファシリテーターだったら、きっと最後の締めくくりの願望に注目しがちだなぁと更なる精進をしたいとも思ったセッションでした。

 

クリーン言語学習中の方も、そうでない方も、しっかりと時間を取ってセッションを体験できる場があるので、少しでも興味をお持ちいただければ嬉しいです。お待ちしています。