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怒りの正体を暴くよりも

何となく苦手な相手と話す時のぎくしゃく感、おだやかに接しようと思う相手だけれども、結局イラっと怒りを感じてしまう時の無力感、そんな何とも後味の悪いコミュニケーションとは無縁の方はいらっしゃるでしょうか。私の場合は年を重ねてもなかなかにこうした経験は少なくならず、コミュニケーションは永遠の課題のようです。

 

昨晩の、わかっちゃいるけど止められない、怒りへと向かう会話のキャッチボールを反省し、今回のセッションのテーマとしました。最後に気づいたことはこれまで扱っていただいたときの結論とは少し違っており、新しい発見となりました。

 

怒ってしまうのを何とかしたい、心穏やかにいたい。

セッション開始のクリーンセッティングから、クリーンな質問によって、胸のあたり重苦しさが、今から思い返してみるとこんにゃくのような形状・感触の例えるなら「内臓」というメタファーで表現されました。

 

自分で発した言葉ながら、「キモ!」(気持ち悪い)と思ったことを思い出します。

 

そしてその下部、左右に一本ずつ、短いチューブが出ていました。

 

メタファーの変化

初めは「内臓」のメタファーについて詳細に聞かれます。どんな内臓なのか。正確に私の発言をリピートし、質問を重ねて頂くことによって、どんどんイメージが詳細になってきます。

 

メタファーについて質問をされたときに、これまではそれを体の内側で感じていたとしても目の前でしっかり「見て」とらえて伝えるような感じだったのですが、敢えて内側にとどめたまま答えることができていました。

 

そして、「内臓」の下部に、下方へ向かって突き出していたチューブの右側の一本が下に向かって伸び始めます。ちくわのような断面だったのですが、先の方が細くなって下の方にすーっっと。少し弧を描くように。

 

下の方には黒い液体があります。このメタファーは液体状の羊羹、名づけて「水羊羹」。

 

この「水羊羹」にチューブの先が到達すると、毛細管現象がおきたように、水羊羹がするするとチューブの中を上昇していきます。

 

水羊羹がチューブの根本の「内臓」に到達すると、どうしたことでしょう、今までぎっしり詰まっていると思っていた「内臓」の内部は網目構造になっていて、その隙間を水羊羹が満たしていきます。するとその網目から、栄養分が吸収されていきます。

 

灰色だった「内臓」は、きれいなうすピンク色に、色が変化し、そしてぐにゃりという感じの柔らかさだった質感は柔軟な感じの柔らかさに変化しました。温度感も、熱くもなく冷たくもない感じからほの温かさが感じられます。

 

栄養分が吸収された「水羊羹」は色が抜けて、反対側、左側のチューブにたまり、まだ短いそのチューブ、どんどん液体が溜まることで下方へ伸び、やがて右側のチューブが到達したのと同じ場所へと至ります。

 

栄養を配る、そして戻る。循環、栄養を吸収して色が変わる。ぐにゃりとした柔らかさから、柔軟性のある温かいへと変化したその違いを聞かれると、大きく息を吸い込みリラックスできる違いがありました。胸のあたりの重苦しさから解放されています。

 

「水羊羹」についても知っていく必要があります。それはどこからくるのか。

どうやら外側からのよう。皮膚から、見たものから、経験から、それは蓄積されていく。

循環の結果、その水羊羹に何か変化があるか、そのあたりも探っていくことも面白そうですが、今回は時間切れとなりました。

 

その時にはもう、重苦しさもなければ、穏やかな気持ちになれていました。

 

 

学び、体験を振り返って

循環を味わって、胸が軽くなり呼吸が深くできた時、気づいたのは次のことでした。

 

一つ一つの事象にこだわると全体が見えなくなり、全体が見えなくなると、ますます一つに集中、固執する。そして、その場でスタックしてしまう。

 

今回のメタファーは、それのようなスタックを表現していて、一つの出来事に集中するのではなく、もう少し引きで前後も見るようにと私に気づかせてくれました。私の場合はそれは視界から始まるのかもしれない。その人物のみにフォーカスしていることに気づいたら、そのフォーカスを緩める。上下、左右などふんわりと全体を眺める。

 

「循環」に気づいた、そして体の中で感じることができる今、視界だけでなく、文脈全体も引きでとらえることができれば、それはその場面だけを切り取っていたら当然注意がおろそかになっていた前後の文脈も繋がり、ふんわりと受け入れる。

 

物事は循環している、その出来事から学ぶこと(栄養)を吸収したら、流し、次の学び(栄養)に資するように、準備をする。

 

内容によらず、人生は学びの連続、スタックしてたらもったいない、そんなことを思ったセッションでした。

 

「怒りの正体を見つけて、置き換える。認識を書き換える」ことも意義のあることと思いますが、もしかしたらその怒り、私独自のその時の認識を、思い込みを持たずに正面から知っていけば、思いもよらない変化・成長のきっかけになるかもしれません。

 

またぜひ挑戦したいテーマです。

 

ガイド役のねこみみすとの方に感謝します!

最後まで読んで下さり、ありがとうございました!!

 

 

よりだと(フォーカスすると)、単品。

引きだと(全体を見ると)、定食。。。

他に良い喩え、ぜひお寄せください。