たまねぎの皮をむくように

今回のセッションでのクリーン言語の学びで、メタファーが玉ねぎだったわけではありません。

 

定期的にクリーン言語のセッションを受けるようになり、似たテーマでの出発から、全く違うメタファーに出会ったり、全く違うテーマのはずなのに、同じようなメタファーに出会ったり、そんな経験をするようになりました。

 

ちなみに、今回のセッションで出会ったのは、「刷毛」のメタファーでした。一番最初に出てきたのは、「毛」の部分。それが不安定で、刷毛の柄の部分に接着剤で固定されたことにより、安定してほこりや汚れを取り払うことができたのです。

 

詳細は省略しますが、セッションの後に感じた事は、恐らく私の止めたいと思うことや、こうしたいという思いの根っこは同じで、とても深いところにあるのかもしれない、とても遠い昔に経験したことにあるのかもしれないということでした。

 

似たような経験を重ね、何とか乗り越えてくることで、かさぶたのようにそこに二重三重と重なって、本当の原因を覆い隠していく。だからひとつ一つの問題解決はできても、また同じような(自分でそう気づくかどうかは別ですが)課題を抱えて、悩んでしまう。

 

ということは、一度にそのかさぶたをはがせばよいのか?

一瞬そう考えました。しかし、分厚くなったかさぶたを、無理にはがそうとした経験、ありませんか?小さいころ、どうしても気になって爪を立ててしまうと痛みを伴い、また出血を繰り返し、きれいに治らず逆に時間がかかってしまう。

 

クリーン言語のセッションでは、もちろんクライエントは課題解決をしたいという願望を持っていますが、その願望達成のための道筋、目的をファシリテーターが設定したり、そこにもっていくような介入、誘導をすることはしません。敢えて明るいところに、ポジティブな側面に目を向けさせようとすることは絶対にしません。ネガティブ、ポジティブ、問題、目的、そうした分類をすることはクリーンではなくなってしまうから。

 

ただ、クライエントが見つけたメタファーのナラティブを丁寧に丁寧に聴いていく。

 

ゆっくりゆっくり、そのメタファーとその物語を紡ぐことにのみ集中する。そうすることで、一枚、そしてまた一枚とかさぶたがはがれていく。はがすのではなく。

 

何事も効率、スピードが求められている風潮の中、自分に時間をかけることはとても贅沢な空間であり、愚直に一つ一つかさぶたをはがしていくためにも、クリーン言語のセッションはできるだけたくさん経験していきたい。

 

例えば、50年生きてきて積み重ねてきた経験、それを土台として成り立っている今の考え方や行動に大きな変化をもたらすにはそれなりの力が必要だろう。1度のセッションで大きな気づきを得る人もいるけれども、私はこの贅沢な時間を定期的な振り返りに活用したい。人間、生きてる限り、成長できる。そのためにも、成長の足かせになっているかさぶたを一気にはがすのではなく、優しく一枚ずつ玉ねぎの皮を剝くようにアプローチしたい。そうすることで確実に、誰が判断したモノでもない「自分の」核心に迫れ、結果として変化、成長すると感じました。

 

 

 

CouleurによるPixabayからの画像 

(玉ねぎの写真をお借りしました。ありがとうございました。)