アウトカムはいらない

 

世の中は、望ましいアウトカムやゴールに向かうための

コーチングや心理療法が溢れている。

タイムラインで未来へ行って

最高の状態を体験したりするのはとても心地がいい

 

でも私の場合、セッションルームから出て現実に戻ると

その心地よさは続かない。
アウトカムに向かうモチベーションも残っていない。
現実にあるのは、身動きが取れなくなるような問題や障害だ。
そこから見ると、ついさっき感じた幸福感は夢物語と化してしまう。

 

それなら、問題や障害と正面から向き合うような

カウンセリングを受けるのもいいのかも知れない。

でもそれはそれで、自分の負となる部分の
コンテンツをさらけ出すことに 

抵抗や拒否感を持ってしまう。
見たくないものには蓋をしてしまった方がいい…

ということになる。

 

何年も前に、アンドリュー・オースティンの
MoM (メタファー・オブ・ムーブメント)というワークに出会った。
「問題を抱えているクライアントにアウトカムなどない」
と言い切る彼の言葉は

衝撃的であったとともに、もの凄い納得感があった。
それと同時に、メタファーがいかに強力に

無意識を動かすかということを
体験させてくれたのもアンディだった。

 

今ではMoMのセミナーは

毎年のように日本で開催されているけれど
当時は一度きりで終わってしまった。
私はメタファーの学びを求めて
クリーン・ランゲージ(シンボリックモデリング)に辿り着いた。
難しいけれど、クリーンの質問はとても効果的だと感じたし
セッションの学びは、知的で面白く楽しかった。

 

けれど、やがて「最高の状態のメタファーランドスケープ」を

手に入れても、問題は無くならないことに気がついた。
問題を口にするたびに、

「そのような時、何が起こって欲しいか」
と聞かれ続けることに、だんだん苦痛を感じるようになっていった。
(これはもちろん私個人の問題で、問われることで効果的に

アウトカムへと向かえるようになるのが

一般的なのだろうと思う。)

 

結果として、私にとっては最初に述べた
タイムラインのワークと変わらないものとなり
アンディの言葉を再認識することになってしまった。

 

そうしてシンボリックから遠ざかり始めたころに

ふとしたことから、クリーン言語の

カイ・ディビス・リンから直接学ぶ機会をいただいた。
セッションの初めに「何が起こって欲しいか」の質問はあるが
クリーン言語で耳を傾けるべきは

クライアントのアウトカムではなく
メタファーが望んでいることだ。

そうすることで、時に美しく、時にユニークな
メタファーのナラティブが展開されて
囚われていた問題や障害そのものが変容していく。
得られるものは、最初のアウトカムや
それに向かうモチベーションとは

ならないかも知れない。
でも、何よりも気持ちがすっきりして
そして、何よりもセッションルームの扉を後にしても

心に灯った灯りは消えない。

 

何かを得たい、何処かに辿り着きたいという

思いが求めるアウトカムは
顕在意識が考えるものでしかなく
それに対して、メタファーの願望は 

無意識が求めるものだ。
メタファーに丁寧に寄り添って

セッションを進めることで
本当に求めていたものに気づけるのかも知れない。

「アウトカムは変化のためのセラピーには役に立たない。」
今もアンディの言葉が胸に響いている。
これに納得できない人もいれば 納得する人もいるだろう。
私は、自分が後者だと感じているし
そのような人にはクリーン言語のセッションを
体験してみることをお勧めしたいと心から思っている。