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信じる力

 

相手の役に立ちたい、理解したいという気持ちは大切だけれども、その思いが強すぎるとクリーン言語のセッションではなくなってしまう。そんなことを感じたつぶやきです。

 

「これをメタファーとしていいのだろうか?」

「ネガティブよりポジティブな言葉にフォーカスした方がいい?」

「ぐるぐる同じことを言っている?」

 

ファシリテーター(或いはコーチ。質問する側。)としてこんな迷いや不安が生じることがある。

 

しかし、クライアントが紡ぎだす言葉にファシリテーターのジャッジ(判断)は無用。またファシリテーターの不安を払しょくすることも不要。

 

主役はクライアントだから。クライアントの進む方向を、進み方を、信じる。

 

どんなメタファーもその変化も、すべてはクライアントのものである。ファシリテーターの解釈や意図はあってもいいけど、その方向に誘導することはあってはならない。

 

誘導するような展開は、クリーンでない。汚染されてしまう。

 

クリーン言語のセッションで大事なことの一つは、クライアントを信じることと、その伴走をしている質問の力を信じることかと最近感じています。

 

これは私にとっては大変に骨の折れる事でした。どうしても、自分の理解が正しいのか進め方は適切か確かめたくなる。自分が思いついた解決策も伝えたくなる。

 

問題解決、解消に向けて、誘導も強制も要約もしない。自分がよいと思う方向へとコントロールしようとしない。

 

全ては、信じること、ありのままを受け入れ続ける、クリーンな質問を通して、解決を自ら見出していく時間をとる。

 

せわしない世の中だけれども、十分な時間をかけて必要なことを知っていくことは私の陳腐なアドバイスよりもずっと、価値があるとも感じています。。。

 

 

画像の花壇は、どなたがお世話をされているのかわかりませんが、たまに通る道にありました。この区画以外にも、いくつかの花壇がそれぞれ違った趣の設えであります。

 

整然としている花壇よりも生命力にあふれた感じのこちらの花壇に惹かれて、元気をチャージさせてもらいました。