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メタファーについての勉強会の後に、「声」もメタファーかもと考えさせられた出来事

それは、妹とその子供である甥っ子、そして私が息子を連れて、コストコへ向かう車中での

会話でした。

 

中学1年の終わりに差し掛かった息子が、身長も私にならび、声も少し変わってきた、声変わりか!という話題で盛り上がっていた。

その時、いつも話題に入ってきたがる小学校低学年の甥っ子が突然かわいい声を張り上げた。

 

「そうだよね、お兄ちゃんの声、高くなっているよね!」

 

???

社内ははてなマークに包まれたが、容赦のない妹がすかさず鋭く切り込んだ。

 

「違うよ、声変わりは声が低くなるんだよ!低くなっているでしょうが!」

 

「ああ、そうかぁ」

 

甥っ子は少し恥ずかしそうに乗り出していた細い体をひっこめた。

 

ー--

 

さて、私はこの瞬間、「声」はメタファーであり、メタファーを通して彼の世界を垣間見た瞬間かもしれないと思った。声は「高い声」「低い声」、と表現するように、何かの基準より上か下かで通常表現する。そして身長は何かの基準(甥っ子の場合は自分かな?)より高い、低いがあることを、我々は目撃、体験している。

 

このコストコへのお出かけの数日前に、勉強会で「認知言語学の大冒険」という本を題材に、方向性のメタファーについて話を聞かせてもらっていた。その中で、上下という方向性について面白い記述を紹介してもらった。

 

そしてまた、「メタファーと人生」という書籍に、”社会的地位というのは(社会的)パワー(権力)と相関関係にある。そして、(肉体的)パワーはUP<上>である。”という文章があったのをあわせて思い出していた

 

そうするとこの発言は、甥っ子が、自分と同じレベルにある、と認識していた「お兄ちゃん」(お兄ちゃんと呼ぶように、と妹から指導されていた)が自分より上である、と認識を組み替えた瞬間の表現だったのではないか。

 

だから、「自分より上」という認識から、お兄ちゃんの声は「高い」という表現になったのかもしれない。

 

ー--

 

いつもは甥っ子から逃げ回り、一緒にいることをすごく嫌がっていた息子が、その日はずっと落ち着いて、特に嫌な顔せずに一緒に時間を過ごしていた。これも気になって、いつも嫌がっているのに、今日はそんなに嫌がらないね、どうしたの?と聞いてみると、

 

「うん、今日はあいつは生意気じゃなかった。」

 

つまり、甥っ子は、自分よりも上であると認識した「お兄ちゃん」に対して、それ相応の言動をしたので、「お兄ちゃん」としては一緒にいることもまんざらではなくなったのではないか。

 

あんまりにも大げさですが、もしかしたらメタファーを通じて意味を世界に対して見出している瞬間を目撃したかもっ!と思った出来事でしたので、つぶやいてみました。

 

妹によれば「単におバカなのよ」で片づけてましたが、皆さんはどう思いますか?